西久保(現在の虎ノ門付近)に
草庵が建てられ、
乗泉寺の始まりとなる。
乗泉寺は今から約400年前、小田家の家臣児島勘兵衛の寄付により西久保に草庵が建てられ、京都・妙蓮寺の日周大徳を庵主に招くことによって始まりました。
桜田町(現六本木6丁目)に
移り、寺院に昇格。
乗泉寺と称す。
4代将軍・徳川家綱の寛文元年、幕府の命により、西久保から桜田町(現六本木6丁目)に移ります。妙蓮寺貫主・日崇上人の尽力により、堂宇が建ち、寺院に昇格し、妙証山・乗泉寺と称するようになります。
江戸の大火で本堂焼失。
徳川萬次郎の病気平癒ご祈願により
徳川9代将軍家重より三人扶持おくられる。
徳川御三卿の一つである清水徳川家の初代当主、徳川萬二郎(のちの重好)は生来病弱で、病にかかり寝たきりとなってしまいました。 しかし、第8世乗泉寺住職・日岱上人が祈願したところ、たちまち病気が治ります。萬二郎の父である徳川9代将軍・家重は大変喜び、葵の御紋の厨子を乗泉寺へ預け、永代安置の上、俸禄を与えます。これにより乗泉寺の名が江戸中に知れ渡りました。
信者の有志により鐘を寄進。
東京大空襲により本堂焼失。
この鐘は、法要の始まりを知らせるために使われていました。
乗泉寺は麻布から渋谷に移転。
戦後、桜田町は区画整理地域に確定したこともあり、現在の渋谷区鶯谷町に乗泉寺は移転します。
現在の乗泉寺、及び他の建物が完成。
帝国劇場や東宮御所などを設計された谷口吉郎博士の設計のもと、乗泉寺新本堂が建立されます。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の棟方志功の鉄版画や、日本の洋画壇に大きな影響を与えた、海老原喜之助の壁画などが展示されています。近代の芸術家達の力が注ぎ込まれたお寺でもあり、朝日、東京、英文読売、毎日などのマスコミ各社に大きく取り上げられました。
